障害者芸人はなぜ笑えないのか?ネタ動画を徹底分析!

2020年4月7日

障害者芸人が笑えない3つの理由

私自身、障害者芸人のコメントやネタには笑ったことがないし、笑えない。その理由について見ていこう。

障害者芸人が笑えない理由①タブーとされているから

学校では、他人の欠点やコンプレックスをあからさまにあざ笑い、笑い者にするのは「悪いこと」だとされている。

障害や病気によるハンディキャップが仮に欠点やコンプレックスとするのならば、障害を笑ったり、あげつらったりすることはモラル的に見ても悪ということになる。

それは、障害をある意味で売り物にし、ある意味でさらけ出している障害者芸人とて例外ではない。

障害を持った芸人のネタやパフォーマンスを見た時、心の内に何やらモヤモヤとした思いを感じたことはないだろうか。そのモヤモヤこそがタブーの正体であり、本質なのである。

「障害を笑っているのではない。ネタを笑っているのだ」と障害者芸人や、あるいは彼らを肯定的にとらえる立場の人間は言うが、「障害=タブー」論に立てば、それは詭弁である。

障害者芸人のネタを笑うということはすなわち、障害そのものを笑う、ということなのだ。それは、障害者芸人が異口同音に語る「どう見られたいか(どう見せたいか)」とはまったく関係がない。

障害と本人自身が不可分である以上、パフォーマーが恣意的に「この部分は見なかったことにしようね~」などと密約を結ぶことは許されない……というより、不可能なのである。

障害者芸人が笑えない理由②悪者になりたくない

障害者芸人のネタを素直に笑えない最も現実的な理由はおそらく、「悪者になりたくない」という心理だろう。

人は誰でも、いい人になりたいのである。少なくとも、「障害者を笑う=絶対悪」であるとされている日本においては、障害者を見ても笑わないことこそが「いい人」の条件であり、批判から身を守るための鎧なのである。

ただ、複雑なことに、ここ数年の日本では「障害者を笑うこと=善」という図式に変わりつつあり、それにともなって障害者芸人の立ち位置が微妙に変化しつつある。

しかしながら、それはあくまでも「条件つきの善」であり、障害者自身の欠点やコンプレックスを最終的には温かく受け入れるという前提のもとでの変容であるとするならば、上京は少しも前進していないと言えるのかもしれない。

障害者芸人が笑えない理由③単純にネタが面白くない

障害者芸人のネタが笑えない最もわかりやすい理由である。

ただし、この点については一概に本人の資質や才能に帰結させることは酷なのかもしれない。

後述する「バリバラ」の名物企画「SHOW-1グランプリ」では、さまざまな障害を持つ当事者が笑い、という舞台で頂点を競い合う。

ただ、まんじろうやあそどっくといったプロは別として、出場者の多くはアマチュアである。

また、障害の影響も無視できない。脳性麻痺による言語障害のあるv出場者の場合、どうしても発話のテンポが遅くなってしまい、ネタ本来の面白みが損なわれる、といったことが怒り得る。笑いにとってテンポは生命線であり、コンマ1秒のどもりや身体の緊張によってセリフのテンポが崩れれば当然、笑えるものも笑えなくなってしまう。

本当に笑えない?障害者芸人に対する世間の反応

障害者芸人は笑えないといったが、世間一般の反応はさまざまである。ただ、障害者芸人を本当の意味でフラットな視点から分析し、笑えないものは笑えないとストレートに評価する人はまだまだ少数派であり、ほとんどは「障害者が頑張る姿はすべて素晴らしい」と手放しで感動する障害者芸人礼賛派か、障害者芸人は笑えないとネタも見ずに全否定するタイプに分かれるようだ。

障害者芸人の生みの親?「バリバラ」の功罪

NHK教育で放送されている「バリバラ」。「バリバラ」の名物企画「SHOW-1グランプリ」では、あらゆるタイプの障害を持った挑戦者が同じ舞台のうえでネタを披露し、障害者芸人としての頂点を目指す。

「笑いのノーマライゼーション」を目指した企画なのだが、その趣旨が充分に活かされているかというと、個人的にはそうも思えないのである。

障害者芸人と言いつつ、ネタのクオリティもピンキリであり、正直なところ、ネタとしての体裁さえ保っていないものを引っ提げて現れる参加者も少なくはない。

ネタの多くは自身の障害を扱った自虐ネタかあるあるネタで、ネタというよりも、日常で起きた出来事をただ単に羅列し、無理やりネタに仕上げているケースも見受けられる。

もちろん、障害をネタ的に伝える工夫や努力は必要だし、それ自体尊重されるべきものだが、それは舞台の外でやってほしい。仮にも笑いという舞台に挑戦する以上、ネタをネタらしく磨きをかけ、より笑える形に仕上げようとする工夫を見せてほしいのだ。

それは決して、「私の障害をどうぞ笑ってください」とばかりに開き直ることでも、障害者という立場をことさらにアピールすることでもない。

ネタは本来、フィクションなのである。仮に、「障害をありのままに提示することが障害者芸人としての笑い」という価値観を広めてしまったとするならば、それは、「バリバラ」の功罪と言えるのではないだろうか。

障害者芸人は笑えない?ネタは進化しているがまだまだ発展途上!

「障害者芸人は笑えない」というのはある意味大げさで、ある意味真実である。障害者芸人自身が笑えないという評価から脱するためにはまず、ネタによりいっそうの磨きをかけるしかないようだ。